Professor
雪国の秋田県横手市に生まれ、秋田高校を経て、早稲田大学教育学部理学科数学専修卒業。もともとは数学者を目指していた。その後、社会工学政策科学に専門を移し、学習院大学大学院政治学研究科(社会工学博士)前期課程に入学。続いて博士後期課程に進学。
研究テーマを戦後日本の形成過程に定め、占領研究のため、1986年に米国ワシントンDCにあるジョージタウン大学政治大学院博士課程(国際関係論専攻)に留学。翌年から、ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際問題研究大学院エドウィン・O・ライシャワー・センター研究員、メリーランド大学客員研究員、ワシントン日米コンサルタント主任研究員、ジョージ・ワシントン大学ガストン・シグール東アジア研究センター客員研究フェロー等を兼務・歴任。 ワシントンDCには約10年間滞在した。
1996年に帰国し、石川県金沢市にある北陸大学法学部に助教授として着任。北陸大学では「地域研究(アメリカ)」「欧米政治史」「アメリカ地域文化論」「国際機構論」を担当した。
2000年より学習院女子大学助教授、2002年より教授。現在、「国際コミュニケーション基礎演習」「国際コミュニケーション演習」「(大学院)国際構造分析演習」の外に、「国際関係基礎論I (国際安全保障学の基礎)」「北米文化論」「国際政治Ⅰ(歴史と現状)」「国際関係論Ⅳ(将来展望)」「(大学院)国際関係特殊研究」の講義を担当。また、毎年夏に「国際文化交流演習(ワシントンセミナー)」を実施し、ワシントンDCにて、主要な国際機関や文化機関に直接訪問し、学生たちに国際協力や米国政治の活動の実体を見聞する機会を与えている。
なお、今年度(2017年度)から、学習院女子大学図書館長を兼務している。
著書に、『米国官僚組織の総て』(単著、行研)、『日米新秩序の構想』(単著、行研)、『戦後アメリカ外交の軌跡』(共著、勁草書房)、『アメリカ・カナダ』(編著、ミネルヴァ書房)、『中国をめぐる安全保障』(共著、ミネルヴァ書房)、『中国とアメリカと国際安全保障』(編著、晃洋書房)、『中国とアメリカと国際安全保障―問われる日本の戦略』(編著、晃洋書房)、『台頭するインド・中国―相互作用と戦略的意義』(共著、千倉書房)など。
訳書に、ダグラス・ジョンストン他著『宗教と国家 国際政治の盲点』(監訳、PHP研究所)、ジェームズ・マン著『ウルカヌスの群像』(共訳、共同通信社)など。
私の学生時代① 読書について:
大学での専門書もかなり読み漁りましたが、それとは別に、高校、大学を通じて実に多く本を読み、読書を重ねるごとに成長を実感しました。文庫が中心でしたが時の経つのを忘れて読みふけり、一年にごとに5段のスティール本棚が一本ずつ増えていきました。周りには私以上の読書家は沢山いました。読書から与えられた感化は様々ですが、人生観の形成に大きく影響したと感じている5冊を挙げるとすれば、マルクス・アウレリウス『自省録』、佐藤一斎『言志四録』、トマス・アクィナス『神学大全』、アンリ・ベルクソン「意識と生命」(『精神のエネルギー』所収)、ウィリアム・ジェームズ『プラグマティズム』です。
私の学生時代② 学びの発展について(高校から大学教員になるまで):
数学の虜となったきっかけは、高校で物理部に入部した1年の時に高木貞二『解析概論』を読んだ(読まされた)こと。物理部ではこの本と『ファンマン物理学』全巻読了が必須条件で、これがきっかけで数理科学の魅力に取りつかれました。天才数学者・岡潔のエッセイは難解でしたが印象的で、「数学は情緒」といった言葉にはひどく共感していました。また絵のデッサンが好きで、建築学科への進路もほんの少しですが考えたことがありました。大学では関数解析を専攻しました。卒業研究は『Banach空間におけるルベーグ積分―いわゆるBochner積分―について」というもの。指導教員の中に、この分野の世界的権威がおられ、私の指導教授もその方のお弟子さんでした。卒業研究には全身全霊で取り組み、最後の一か月は正月休みを返上で連日徹夜状態でしたが、不思議なことに全然眠いと感じませんでした。本当に楽しく夢のようで、いただいた評価は「大変な力作。文句なしです」と言うものでした。
大学院で社会工学を専攻したのは、多変量解析の発想を社会に役立てたいと考えたからです。社会の近未来の動態的変化を予測し、政策的課題を明確にして具体的対応策を立案するということに使命感を感じました。日本の国づくりがしたいと思いました。ですから入学当初は、日本の人口動態予測をもとに、今でいうところの「地方創成」をどう導くかを考えていましたが、当時、青少年非行が深刻な社会問題となっていましたから、修士論文では、青少年非行の発生メカニズムをモデル化し、それをもとに当時の政策・対策を分析し、見落とされている課題と具体的対応策を提起しました。留学を思い立ったのは、博士後期課程に進級した時です。世界の中の日本のあり様を考えるため、戦後秩序と日本の関係を探るため、最初は、何故、米国が世界の戦後秩序を形成するにあたって国際法廷という前例のない方式を発想したのかを明確にしようと思いました。ワシントンDCを選んだのは資料へのアクセスが容易だと思ったからです。
留学してちょうど1年後に研究員に採用され、以後、10年間は、進行中の日米関係の分析に忙殺されましたので、本来目指していた研究の戻るのは、帰国して大学教員になってからですが、ワシントンDC時代の10年間はこれからの日米関係を考えるうえでの様々な洞察と知見を与えてくれたと思っています。